hapax

2012年10月3日水曜日

ファック・ユー

言葉と物はちがう。それらは無関係である。
大学院生なら壊れた機械のように誰もがそう言うだろう。
そこから文芸共和国まではあと一歩である。
すべてはフィクションである。
あらゆるフィクションのフィクションである文学こそ統治するのだと。

しかしフィクションはまず面白くなければならない。
ならば面白いことを言える頭脳と感性があればそれでよいか。
否。面白いことを言うだけの人間は最終的に面白くない。
なぜならその人間は面白いことを言うだけのクソ野郎だからである。
面白いフィクションの底には物がなければならない。

言葉と物はもちろんちがう。別物である。
しかし/そして、フィクションを発動させるのは、
言葉と物の関係を無関係という関係として保持する緊張度である。

たとえばわたしはブランショが好きだ。言葉がすべてである。
それとは無関係に、反ブランショ的に行動するということだ。

言葉だけのインチキ野郎ども。
おまえたちはまだまだインチキが足りないのだ。

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