10月にIMF年次総会がチャポンでひらかれるという。
奴らのメッセージはこうだ。被曝せよ、労働せよ、借金せよ。
さまざまな流儀で無数のファック・ユー!を叩きつけるべきである。
佐々木滋子というマラルメ学者によれば、
アナキストは文芸共和国の住人ではないという。
書物主義を標榜しつつ、アナキストの「みぶり」は書物から排除する。
フェネオンもマラルメも舐められたものだ。世の中にはとんだ共和国があるものだ。
「みぶり」があらゆる蜂起のデュナミスである。
警察に追跡され変電所に逃げ込んで感電死した少年たち。
路上で果物や野菜を売ろうとして警察に品物を没収され、焼身自殺をはかった青年。
こうした「みぶり」は語られ、多少なりとも文脈から切り離されてイマージュにおさめられる。
それはモノ化される。だが同時にそれはデュナミスをはこぶ。共鳴をよぶ。
わたしが演奏しているのではない。楽器がわたしを演奏しているのである。
ミュージシャンならば誰しもそうしたランボー的瞬間を経験したことがあるはずだ。
思うに、デュナミスそのものであるような「みぶり」はそうした瞬間に生じている。
そのとき、歴史の墓場である「作品」はこなごなに砕け散り、 イリュミナシオンの即興がはじまる。
だから、さらなる圧力をくわえよ、重力をくわえよ、関東に重いむら雲を生じさせよ。
関東圏というメトロポリスはいまや圧力鍋のようである。
文芸共和国というココットはいまにもメルトダウンしそうだ。
「移住したい、だが何処へ?」
「被曝したくない、だが金がない」
「文学部の教授が文学がすべてだと言う」
「書物がすべてというのなら書物をおれに買ってよこせ」
「シングルイシューというよりすべてが敵なんですけど」
「院生相手の現代思想屋がもっともらしいことを言っています」
「歴史に残りますか。あーそーですか」
ハムレットたちの独白はみぶりのデュナミスへと転化するだろうか。
ハムレットたちのふるさとは文芸共和国ではない。カオスモーズである。
そう、覚悟がすべてだ。発火点をさがせ。
0 件のコメント:
コメントを投稿