hapax

2012年7月17日火曜日

ハパックスは世界に向かう

われわれはハパックスである。ハパックスは世界をめざす。ハパックスにとって世界とは、首都から海路や空路をつうじて開かれるのではない。そのような世界は、規律装置や管理装置によって強硬症をわずらったブルームどもの発想である。「大学生になれば」「大学院生になれば」「就職すれば」「海外に出れば」。あるいは「大学では」「大学院では」「アカデミズムでは」「社会では」「世界では」。われわれハパックスはそうしたブルーム的世界と手を切った。われわれは思う。共謀とはブルーム状態からの脱出口であると。共謀がはらまれるかぎり、そこはすでに原子力都市の終了地点であると。友人や恋人のまえでブルームであることをやめ、ハパックスになるとき、われわれは世界そのものにふれるのであると。
ブルームは啓蒙主義者をよそおい、われわれを恫喝する。「大人になれ」「子供状態から脱せよ」と。それは社会化を受け入れさせるための常套句にすぎない。大学院の研究室から革命的評議会にいたるまで、就職活動の現場であれ現代思想のシーンであれ、社会が猛威をふるう。だが汚染列島のみじめな現状をながめるかぎり、啓蒙主義の公式はむしろ「子供になれ」「馬鹿になれ」である。われわれの言葉でいえば「ハパックスになれ」である。頭がよさそうに見せることが大人であることの証明となるような国で、われわれはただ一度きりの生を子供として享楽しなければならない。世界のリズムをきざまなければならない。われわれは「未来のために」「子供のために」と唱和するだろう。だが、未来の他者はわれわれとは無関係である。なぜならわれわれこそが生であるがゆえに、われわれこそが未来であるがゆえに、われわれこそが反放射能を徹底的に生きなければならない。もういちど言う。汚染列島における啓蒙とは、大人のつとめとは、大人になることではない。書物になることではない。大学になることではない。会社になることではない。社会になることではない。懸命に子供になることである。装置を取りはずすことである。そして世界そのものを享受することである。世界へ。

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